福島第一原子力発電所見学
福島第一原発見学概要
2019年の10月に経済産業省資源エネルギー庁関係の誘いで福島原発見学に参加する機会を得ましたので、その報告をまとめてみました。同行のグループは15名くらいの参加者でした。今回の行程の概略は以下の通りです。
・常磐線・富岡駅に集合して東京電力の廃炉資料館まで徒歩移動。
・職員の先導でシアター上映から始まり、資料館1階の案内を受ける。
・大型バスで第一原子力発電所まで移動。
・構内の協力企業棟・入退域管理棟では身分証明書のコピー等でチェック、金属探知機などの立ち入り許可の手続き等を経て入所し、まず食事。
・個人線量計を装着し、発電所内部へと入る。
・基本的には大型バスの中で説明を受けながら、ルートに沿って移動する。
・1~4号機全体を遠目で見られるところで、1カ所バスを下車して説明を受ける。
・再びバスに戻り、ルートに沿って説明を受けながら構内を移動。
・入退域管理棟で装着線量計が基準値を超えていないかをチェックし、退出する。
・バスで再び廃炉資料館まで戻り、質疑応答などが少しあり、その後自由解散。
詳しい行程
上野から特急でいわき駅で乗り継ぎ、さらに富岡まで3時間を超えたところに集合地はあります。電車では基本的に右側に座っていましたので、近づくにつれところどころ太平洋の波の荒い海が見えてきていました。常磐線は、その時は富岡から浪江までは不通となっていました。先日のニュースで来年4月に向け開通かと流れていましたので、車掌さんにも聞いてみました。除染の問題などがありますが、予定通りにいくかもしれないとのことでした。新聞記事では、労働組合などの反対デモがあったことを伝えていました。
集合地は富岡町にある東京電力の廃炉資料館です。ここは元福島第二原子力発電所のPR館だったところを改修したものということです。ここからは東電職員の案内で、事故のお詫びから始まり、時間は短いながらも丁寧で詳しい説明を受ける見学が始まりました。まず3・11の事故のようすなどを描いた8~9分程度の映画を2本見てから、資料館の1階を簡単に案内されました。発電所構内の模型、処理水のこと、そして1号機、3号機、4号機は模型が分かりやすく示されています。構内で使うロボットや作業員の防御服などの展示もあります。
いよいよ発電所へ
そしてここから大型バスに乗って発電所構内へ向かいます。ここからは防護管理上の理由などでカメラの持ち込みは禁止となります。せめて、途中の道程は写真に撮りたかったので、残念です。廃炉資料館から第一発電所までは距離にして約10km。国道6号線を北上していきます。途中帰宅困難地区を左右に見ながら進んで行きます。家屋、コンビニ、ガソリンスタンドなどが事故当時の壊れたままの形で、そしてそれぞれの入り口にはバリケードなどが張られた姿が多く見られます。このあたりはマスクをした警備員がところどころにいて、車は4輪車の空調特別仕様のもののみが通行できるとのことです。まわりには黒い大きなフレコンバッグが雑然と置いてあるところも多々あります。ちなみに避難区域を解除された富岡町の住民は、登録の1万数千人の総数から現在は8.7%位の帰還率ということです。
発電所に到着。構内では多数の協力企業が作業をしていますが、それぞれのロゴマークを貼りつけた協力企業棟にバスを一度降りて入っていきます。手前には、新しい事務本館も建っています。まずは390円で購入した食券を利用して、大型休憩所の食堂で食事をとりました。県内産の基準を満たした食材などを利用したものは、量も多く定食で4種類くらいあります。作業員の方々も同様、食事をしたり休憩していました。配膳される食事は、この場所ではなく外のセンターで作ったものがきちんと管理されたルートで運び込まれるということです。
食事後、発電所内に入っていきます。1人ずつ線量計を装着して、再び大型バスに乗り込みます。説明を受けながら広大な敷地内をぐるっと回っていきました。バスはルートに沿って移動し、所々停車して説明を受けます。タンクやALPS(多核種除去設備)等の設備を見て説明を受けた後、比較的早く1~4号機が遠巻きに見られるところに到達しました。
下車見学
ここで今回唯一の下車したうえでの説明が始まります。緊張しますね。下車は強制ではないですが、全員が降りました。間近に見えている炉は4体とも大きいですが、特に1号機は水素爆発の様子を今でも想起させるような姿のまま(もちろん内部はふさいでありますが)存在しています。メディアでもトラブルが報道されていた、1、2号機の共通排気筒の切断(解体作業)については、上の部分が途中まで何とか遂行されていました。また3号機は大きく遮蔽体で覆われています。カメラの持ち込みが許されていないこともあり、ここで炉を背にグループ全体の「記念写真」を撮ってもらい、またバスへと戻ることになりました。
またバスで移動
再びバスで、幸いに免震施設が維持された緊急時対策本部のところや旧事務棟などを見て、その後、海側にも回りました。施設全体が津波による浸水にあった施設では、その跡(壊れた姿、水の跡など)が所々に残っていますが、海側は特にその損傷の跡が生々しいです。さらに5、6号機の設置場所の方を回りましたが、そこでは環境省が行っている処理プラント事業の工事の様子が遠巻きに垣間見られました。
このほか説明されたことは、作業員の被爆を軽減する取り組み、処理水のこと、運用目標値未満の水の放水、タンク、凍土遮水壁のこと、地下水について、汚染された資材・服などの処理、ロボットを使用した作業の試み、敷地内のフェーシング(地面におおいをかけること)、事故当時に汚染された車は外に出せずに構内で使用している等々、きわめて多岐にわたっています。それらを経て、ようやく元の管理棟まで戻ってきました。終わってみるとあっという間でした。個人線量計をチェックし、機械によるスクリーニングを経て、基準以上の放射線に汚染されていないかを確認してもらい、無事退出しました。現場の見学はこれで終了です。
再び資料館へと
この後は、再びバスに乗って廃炉資料館まで戻り、そちらで短時間ですが質疑応答になります。私は、ALPSの処理水について質問しました。係員は、自らが説明する時はマニュアル化したような言葉遣いもありましたが、参加者との普通の会話や質疑応答では率直な話をしてくれたように思います。全体として、過不足が少ないような説明が聞けたと思います。
この見学者受け入れは、昨年が1万9000人くらい、今年は2万人にも達するくらいということです。現在の時点でも12月中旬くらいまでは予約で埋まっているらしいです。廃炉資料館にも壮年以上だけでなく若い人を含め、見学者がけっこう入ってきていました。自由解散になってからは、私は帰りの電車の時間まで、資料館の2階を含めてもう1回じっくり見たり、資料館の周辺を少し歩き、近くのショッピングセンターにも入ってみました。そこは夕方の時間帯でありましたが、客層は家族づれというよりは仕事・作業関係の人が多かったという印象でした。
見学を終えて
大変貴重な機会を得て幸いでした。資料館はかなり充実していましたし、職員による説明の流れは、もう慣れているのかとても丁寧であり適切なものであったかと思います。公開しようとする姿勢は大事であり、こちらが勉強していればいるほどさらにいろんな情報が得られることでしょう。
富岡の駅から資料館までは新しいきれいな住居、アパートなどが群を成すように建っています。しかし帰還率は上に記したような状況です。表札もないような家も多くあります。また第一原発の広大な敷地は、ほぼ半分強が大熊町、残りが双葉町です。大熊町も人口が1万数千人といわれ、現在一部解除地区となっていますが、帰宅者はわずか100名ということです。
今は発電所が安定していて一般に公開できるようにまでなったとしても、廃炉までを考えると、少なくとも30から40年かかるといわれ、今の試算でも8兆円の費用がかかるといわれています。
施設を見学して改めて思ったことは、海にきわめて近いのに電源設備が海側にあったことや津波対策の先延ばし、その他地震そのものでも問題があったともいわれていたり、まだまだわかっていないこともあるということです。今回は質問等でも話題にはならなかったですが、ある程度率直に「事実」を認め、残しておこう、公開しようという姿勢はあるものの、例えば甲状腺がんの増加という事実についてでさえ、資料館にあった冊子のひとつでは、相変わらず「高性能の検査をしたから」ということが書かれています。
公害病の問題などもそうですが、あとからの対処は被害も大きくなり、膨大な時間、膨大な費用がかかりますし、因果関係など責任の所在をはっきりさせることが難しいことが多々あります。あくまで予防、前もってリスクを考えた準備や対応をして、そして事後ではなく準備段階から徹底した情報公開が必要であるということを強く再認識しました。
我らの時代に起こったこと、起こしてしまったことを、「事実」を掘り起こし、見つめ直すことで冷静に熟考したいと思います。見学で得たことは共有したいものです。
参考として放射線量など
参考までに、今回移動したところの放射線量を目安として記録しておきます。数字を見る上での注意としては、それぞれ測定の機器が異なること、測定値は瞬間の値を毎時に直した表示が多いですが、装着線量計のように累積値のものもあるなどそれぞれ違いがあることです。比較のため、( )内には、年に換算したものも計算して示しました。
空間線量を見るときは、瞬間の強さ、距離、被爆時間などを考慮する必要があります。また単位がμ、m、毎時、毎年など、いろいろあるので注意が必要です。
あくまで目安であることを強調しておきます。
・上野駅常磐線ホーム近く(個人持参のエステー簡易測定器を使用)
0.05μSv/h(=0.43mSv/年)
・富岡駅周辺(個人簡易測定)
0.12μSv/h(=1.05mSv/年)
・廃炉資料館周辺の住宅付近の設置測定器の表示
0.082μSv/h(=0.7mSv/年)
・廃炉資料館周辺の国道6号付近(警察署)の設置測定器の表示
0.167μSv/h(=1.5mSv/年)
・同上の近くの道路(個人簡易測定)
0.45μSv/h(=3.9mSv/年)
・廃炉資料館から帰宅困難域を通る道筋(同行係員が測定)
バスの中:1.1μSv/h(=9.6mSv/年)
外:1.486μSv/h(=13mSv/年)
・バスの中から除染されていない森を測定すると:4.3μSv/h(=37.7mSv/年)
・構内視察装着線量計データ(構内に入るときに装着が義務づけられているもの、出るときに確認する。また目安として0.02mSvに達するとアラームが鳴るようにセットしてある)
0.01mSv程度(=10μSv)(γ線)
β線は0
・構内視察ポイント例(モニタリングポスト等にて)
発電所入り口付近から近いところ:0.3μSv/h(=2.6mSv/年)
既設ALPS周辺:0.7μSv/h(=6.1mSv/年)
1~4号機の前の離れた地点(バス下車):80μSv/h(=700mSv/年)
遮蔽ブロックの後ろだと:40μSv/h(=350mSv/年)
4号機からサブドレン設備の後ろ側あたり:23μSv/h(=201mSv/年)
水戸駅などでの測定を追加
2021年の7月に、機会あって常磐線の特急を使って、上野駅と水戸駅を往復しました。そのときにいくつかの箇所で、放射線量を計測してきましたので、記録しておきます。測定はすべて、個人持参のエステー簡易測定器を使用しました。なお、「0.05μSv/h」の値はこの計測器による低い方の検出限界の値です。
- 上野駅常磐線ホーム入り口 0.05μSv/h(=0.43mSv/年)
- 上野駅常磐線ホーム付近 0.07μSv/h(=0.61mSv/年)
- 常磐線車内 0.05μSv/h(=0.43mSv/年)
- 水戸駅降車ホーム 0.1μSv/h(=0.87mSv/年)
- 水戸駅前北口広場 0.08μSv/h(=0.7mSv/年)
なお、計測値は記録の平均値を計器が自動的に計算して表示しますが、2,4,5番目では、瞬間的にはもう少し高い値が出たこともありました。それぞれのホーム上では、0.2~0.3、水戸駅前では0.14くらいの数字がみられました。
写真ギャラリー
被爆軽減策、この前と後ろでは2倍違う 5,6号機 タンク1 タンク2
古いタイプのタンク タンクと駐車場 モニタリングポスト 装着した個人線量計
写真ギャラリー2
反原発ソング ベスト集
反原発ソングで、よいものをいくつか集めてみました。原発事故当時から聴いていたものです。